ついつい
マジシャンとしてどう考えるか←うんうん
男としてどう考えるか←そういや男だったよな
アラサーとしてどう考えるか←ついにこの残酷なカテゴライズの被害者に
なんて自分のポジションを定めてから考えちゃうけど、
できれば、なるべくならばそういう風に視点を固定したくないな。
まぁ、どんな心構えをしていたって何かしらの判断や意見を述べるときにはある一つの固定された答えとして人の目には映ってしまうけど、
それでも凝り固まらないようにしようという意識があるかないかでその後の自分の柔軟性がまた変わってくると思う。
一つ表明したものに固執してしまうとそれに違和感を覚えたときにも撤回できないし、
何だか違和感という疑念を抱いた自分を嫌悪してしまいかねない。
(極端な話だけど)
もちろん安易に自分の言葉を二転三転させてしまうのもよくないけれど、
かといって自分の言葉に拘泥しすぎるのも何か違うと思う。
場合によっては朝令暮改も必要だと思うのだ。
(熟語の意味する「軽率さ」や「安直さ」を差し引いた言葉として捉えるのであれば)
「絶対的に正しいことなんてない」という言葉そのものが矛盾を孕んでいるように、
言葉を用いた思考には常に危険な香りが漂っているのだ。
そんな危険なものだからこそ魅せられ酔わされ傷つけられ癒されることもあるんだと思う。
だからこそ自分のポジションはいつだって柔軟に変えられた方ができるアプローチも変わって面白いよなぁ。
つれづれ。
あぁ、聞けば自分探しとか、自己分析とか、
そういったいろんな見せかけがたくさん散らばっているけれども、
それが果たして何になるというのだろう。
そうやって探して、分析した「自分」があるとして、
おそらく、いや間違いなく、周囲はあなたをそう見ていないよ。
場合によっては彼が見ているきみと彼女が見ているきみは逆かもしれないじゃない。
見る人それぞれの眼を通す以上、各々のフィルターを通るわけで、
それは確実に単一のものにはなりえない。
支離滅裂な人格破綻者も、理路整然とした聖人も、
きっと誰しもの中に息づいていて、
ぐずぐずに絡み合って一つの器に収まっている。
もし自分というわけのわからないものに対して正しい態度が存在するとするのならば、
それは探したりとか、分析したりとか、
そういうことを一切取りはらって、自分なんて認識しようとしないことなんじゃないかしら。
とにかく、こう、ただ突っ立ってる感じ。
それで走りたくなったら走るし、
泣きたくなったら泣くし、
眠たくなったら寝るし、っていう。
「ここはこうするのが『らしい』んだ」って、
いつの間にかすりこまれて、すりこまれた違和感でヒリヒリ痛みながらもそれを通してしまうなんてことはとっても辛いことなんじゃないかしら。
でも、いわゆるまっすぐなひと達は『らしい』もまっすぐ吸収してしまう様な気がする。
本当は、さらけだしているのが一番落ち着くし楽なのに、
いろんな『らしさ』を与えられて、時には求めて、少しの綻びが出るたびにまるで世界の終りのように絶望したりする。
そういった姿を見ているとたまらない気持ちになる。
ひどく苦しくなる。
でも僕はそんなまっすぐがこじれて小石を大岩にしてしまうようなひとが好きでもある。
何とか、何とかしてこの能天気な愚か者たる自分がそのひとを笑顔に出来ないものか。
そんな風に思う。
まっすぐなひとの笑顔は美しいし、かわいいし、カッコよくて、
すごく幸せなもの。
あぁ、そうやって幸せになりたいね。
去年僕は厄年だった。
厄年だったんだ。
僕は今年後厄だったんだ。
そうなんだ。
厄年。
僕自身には何にも、何にも悪いことなんてなくて。
むしろ、たくさんたくさん良い事があって。
でも僕のまわりで
僕のまわりのとても大切なひとが
そう、じいちゃんの時と同じように
僕が何にもしないうちに
何にも何にも何にも返せないうちに
いなくなってしまったよ。
いつだってそうなんだよな。
もう少し先でいいと思ううちに
もう少し甘えていたいと思ううちに
もう少し緩く静かに続けていこうなんて思っているうちに
思ってもいないタイミングで
ふっ、と消えてしまう。
いや、本当は分かっているんだよな。
うん、分かってる。
分かってはいるんだけど
いつかはその時が来てしまうことは分かっているんだけど
それを真っ向から受け止めるとその時がすぐそこに来てしまうようで
怖かったんだな。
で、怖がっているうちに
何にも出来ないうちにその時が突き刺さってくる。
ぐさりと。
何度もね。
…そういえば、厄年の厄は自分に来ない場合
まわりに来るんだってね。
でも、もし僕の厄だったらさ、やっぱり僕に来るべきだと思うんだよ。
僕を直接苦しめてほしい。
こんなふうにまき散らすことないんじゃないかしら。
こんなふうに僕が何かするより前にその時間を奪うことないだろう。
それともこうやって手遅れを何度も僕に味わわせて
僕が変わるのを待っているんだろうか。
それまで僕はこんな風に手遅れに何度もぶち当らなきゃいけないんだろうか。
僕はそんなに強くない。
僕は弱い。
僕自身をどんなに痛めつけてくれてもかまわないけど
そんなのとっくに慣れたけど
まわりのひとに手を出すのはずるいよな。
卑怯だよ。
次はちゃんと僕に来いよ、直で。
誰に言っているのかはよく分からないんだけど
でも何だかどうしても納得がいかなくて。
冬の夜は一年の終わりを突き付けてくるから
どうしても頭を離れないことがいつもより強烈に迫ってくるんだよな。
次はちゃんと僕に来いよ、直でさ。
本当、頼むよ。
もうまわりから崩すのはなしだぞ。
…眠れないと何時にも増してろくなもん書けんな。
プレゼントとしてお金をあげる人はいないだろう。
プレゼントは何かしらのものをあげることが多い。
そしてプレゼント用に包装をお願いすると値札は取って包装がされる。
それはやはりお金の影をできるだけ見せたくないからだろう。
プレゼントというのは思いという形のないものを形にしたいという、切なく叶うことのない人の願いを少しでも伝えるべく一生懸命なのだ。
そして伝えたい思いはそのまま伝わることはないにしても何か暖かい温度を感じさせてくれる。
寒い季節はなおさらね。
自分探しだとか
本当の自分だとか
そんなこと、無駄よ。
自分で見ている自分なんて自分の中でしか成立してないしさ。
他の人が見ている自分はぜんっぜん違う、かもしれないじゃない。
というか、絶対違うのよ。
だからさ、本当の自分云々言うよりもさ、
もっともっと直感でどーんと表現しようと。
それが自分にとってポジティブなものであればさ。
例えば、誰かのことが好きならば、ひかれるくらいに表現する。
(好き、というのは何も恋愛感情に限らずね。)
それでひかれてしまっても、
嫌われてしまっても、
伝えられずに失ってしまうよりは絶対に良いと思うんだな。
だから「本当の自分は…」なんてこと考えるよりも
「あ、これ、伝えたい」てことは表現表現。
ここまで生きてきて、それなりに失って、とりあえず今のところ、そう思うのです。
もう49日なのです。
あれからの日々は確実に過ぎてきて。
それなのに何だか全く進んでいない時間、気持ちがそこにはあって。
いや、もちろん、いつもそんなことを思っているわけではなく。
毎日、楽しいことや、やっちゃったことやらなんやら、いろいろあるんだけど。
こないだなんか酔い潰れて記憶を失ってしまったくらいで。
友人に助けてもらわねばもしかしたら完全な廃人として成熟しそうでしたよ。
そんなこんなで確実に日々は過ぎているのだけれど。
過ぎている時間と止まったままの時間。
時間は一様ではないのだ。
いくつもの時間があって。
そのずれが僕を引き裂きそうになるんだけれど。
それでも進まなくてはいけないし。
自分では進めることができない時間があっても
それに引っ張られて他の時間を何となく止めてしまってはいけないんだよ。
そんなことを思いながら、毎日少しずつ進みます。
やろうと思っていてやってこなかったことも沢山あるから、
やりたいね。
やりたいことだけやって生きたいね。
活きたいね。
この夕暮れから日没そして暗くなりゆく流れがたまらなくいい。
夏は瞬間が長くなるのだ。
だから早くも長く一日が終わっていくんだ。
いいよ、いい。
夏だ。
久しぶりに真っ盛りの。
蝉も今発散せんとばかりに鳴いているよ。
鳴け鳴け。
暑苦しく鳴け!
夏をギブミー!
蝉は本当にいいタイミングで絶頂を迎えて消えていくよね。
僕なんか輝ける時があるやらないやら。
こぼれるときはそのまんまでいいはず。
そのまんまでいいはずなんだが、
いつのまにかそれをこらえるようになってしまうんだなぁ。
もっと自然に涙を流せるようになりたい、じゃなくて戻りたいな。
そこはそのまんまでいいんじゃないか、と思う。
そう思わせてくれる。
そうですそうです。
そんな風に自然なあなたがいいんですよ。
この商品がいい。
と言うためにはやっぱり自分で使ったものでないと。
勧めるということはそういうことだろう。
知るというのは手にして初めて可能となるのだ。
他人の言葉なんて結局は他人の言葉だから。
だから僕は自分でいいと思ったものをお勧めします。
買おうと思って買うところまでいかないものはその時点ではまだ自分にとって無価値ということなんだ。
うん。
いつもと同じ
いつもと同じ。
変わっているようには見えなくても、
進んでいるから。
思い浮かんだことはすべて実現できることだから。
少なくとも、自分のことはね。
今日は会社の窓から虹が見えた。
見えることを教えてもらった。
何だか悪くない気がするのだ。
そんな単純なことがあるだけでも
幸せになったりするんだ。
そうだね。
きっとそうだから、何とかなるのさ。
好きなのは自分の勝手だものな。
哀しいかもしれないけれど、これは事実。
そして自由の証でもあって。
ある程度、この意識を心のどこかに持っていないと
僕のような愚か者はすぐに慢心して安心してしまうから。
好きな人はたくさんいたほうがいいよ。
もちろん、その分悲しみの影は増えていったりもするけれど、
やっぱりそれでもね。
無理して浮かぶことはない。
水圧変化に耐えきれないから。
ゆっくり、またおよぎませう。
僕はとても愚かだ。
もう絶対にできないことの残滓を拾い集めて「らしきもの」を得ようとしている。
それは錬金術で人を作ろうとする感じに似ていて。
絶対にうまくいくわけはないんだよな。
分かってるんだけど。
分かってるんだけどさ、しばらくはそうやっていないと自分の方が崩れてしまいそうだから。
本当に自分て情けないなぁと思うんだけど、そんな風に思う意味も全くないし、非常に無駄なことだとわかってるんだけど、やっぱりしばらくはそうしないと。
意味も解らない。
嫌だ。
嫌だよ。
単純に嫌なんだ。
本当に嫌なんだよ。
何とかならなくてもいいからなんとかならないのか。
江頭2:50の言葉だったと思うんだけど、
生まれたときから目が見えない人に空の青さを伝えるときなんて言えばいいんだ?
こんな簡単なことさえ言葉にできない俺は芸人失格だよ。
だから俺、頑張るよ。
って。
最後がいいな。
ぼそっと。
うん。

誕生日にもらったモビール。
友だちから誕生日にプレゼントもらうなんて何年ぶりだろうか。
うれしいうれしい。
わーい☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
時間はずっと早く遅く止まって動いて。
早ければ充実というわけではなく、
遅ければ退屈というわけでもない。
ただ、そこで自分が何を感じているか。
最近はどうもどう時間が流れていても自分は淀んできているように思えてならない。
その原因は自分が一番知っていて、
自分が一番嫌なこと。
それでも抜けられないから、
割と自分を認める気になれる。
こんなに納得いかないのに抜けられないということは、
ぼくはぼくでしかいられないということに他ならないからだ。
さふ思ふ。
時は過ぎるし、
傷は癒えてしまう。
過ぎてしまうし、
癒えてしまうから、
繰り返してしまう。
過ぎず、癒えなかったら、
きっと辛くて生きていけはしないけれど、
生きていると辛くなるのもまたその為だから、結局そのままを受け入れていくしかないのかね。
晴れたら雨降る。
あー!
でもやっぱり晴れがいいなぁ。
雨も家から眺める分にはいいんだけど、外に出られないからなあ。
客観的に自分を見る、だと?
うぬぼれるもんじゃない。
自分は常に主体にしかなれないんだってば。
人に見てもらわなきゃ客観的なことなんて見えやしないって。
出来もしないことを言って、なんか素敵、みたいなの、きらいです。
あと、ドヤ顔って言えばとりあえずいいみたいな流れもきらい。
まっすぐ行こうよ。
こんな風にしか生きられない。
いつからかそんなつもりで生きている。
色々と都合がいいのだ。
僕を認めてくれるひとはそれを好意的に受け止めてくれるし、
僕のことが嫌いなひとには厳然たる事実のように聞こえる。
あたかも何かしらのポリシーとか、生き様があるかのように。
しかしその実は何も見えていないし、何一つ真剣に持っているものなんてなくて。
だから、ひとは僕のことを優しいなんて誤解したりしてくれる。
自分が確固として持っているものなんかないから、何かを目指して、何かになりたくて、ちょっと疲れてしまったひとがいれば、なんの噫もなく「大丈夫。」だなんて言えてしまったりするのだ。
そんな自分が見えてしまうから、ひとに会えばくだらないことばかり。
そう、そう、こんな僕がいることを誰も気付けないように。
本当はとても臆病で、自信なんてかけらもなくて、何をしたらいいかわからないのに何かがダメだという予感に常にビクつきながら。
そしてその予感が事実だということも本当は分かっているくせに、予感だなんて呼び方をしてみたりして。
そう、そんな自分を全部ひっくるめて僕は生きてきた。
未熟も未熟。
これで何を守れよう、これで誰を幸せにできよう。
溜息ばかりが上手くなる。
やっぱり春はここからだね。
そうだ、ここからだよ。
じゃあ、またね。
もう?もう少しゆっくりしていけばいいのに。
いや、もう行かなくちゃ。
そうか、じゃあまた。
金曜日に金という文字が使われているのは、偶然ではないと思う。
多分ね。
なかなかどうしてやってけるもんだね。
電気少なくてもさ。
渋谷とかは電気多過ぎたから、今のほうがいいかなぁと。
何にしてもほったらかすと惰性で堕落するからね、にんげんは。
まあ御多分に洩れずわたくしも。
その事実を誰が気に入らないのかっていうとこれがまた自分なわけで。
結局自己完結なのに、どうにもならないこの自分ってね。
みつをさん的な。
浮世とか憂き世とか。
浮いてんだか沈んでんだか。
つまり捉え方次第な訳で。
自分がこう!と思えばそうなんだな。
結局は自分の世界は自分でしかないし、自分がみている自分だって自分しか知らない訳だ。
だから本当の自分なんてものはいないし、探すだけ無駄だね。
探すというか、そのまんまだから。
瞬間刹那で変わる認識。
だからひとところにとどまらざる存在であることを認識しておればよかろうと。
整体術でなくば、痛くて訴えそうだよね。
それでこそ効くというもの。
実際終わったあと、背が伸びたようなそんな気持ちがあるのだ。
ガタってのは知らぬ間に蝕んでいくものなんだな。
体を。
心はいつも太平洋ぜよ!
このメニュー期間限定って書いてあるけど、いつまでやってるんだ?
期間限定なのはクーポンでして、販売終了時期が決まっている訳ではございません。
期間限定って書いてあるよ?
ですから、期間限定なのはクーポンでして。
期間限定…あぁ、そうかい。
大丈夫か?調布市。